身体拘束ゼロ

私たちの試み ~理想的な認知症ケアに向かって~

 わたしたちは、老人病院の制度の変化とは少し離れたところで高齢者のための、あるべき医療・ケアの模索をしてきました。それは、縛らない医療、ケアの実践ということでした。外に向かって抑制廃止を、縛らないという表現で表明し、病院内のヒモというヒモを、ある時期は包帯まで捨ててしまったのです。そして、縛らない医療を実践していくなかで、わたしたちは多くのことを学ぶことができました。
 抑制を廃止しなければならない一番の理由は、抑制のもつ副作用・弊害です。わたしたちは図1のような抑制死という考え方を提示していますが、この抑制死が医原的な悪影響の最たるものだと思います。患者さんが長期にわたって縛り続けられていると、食欲が低下し関節が拘縮し、筋肉が萎縮し、心・肺機能が低下し、全身が衰弱し、感染も起こしやすくなります。そして、縛られてしまったという、精神的なダメージとの相乗効果で、障がいを持つ弱い高齢者に致命的な変化が生じてしまいます。すると、たとえ縛ることを止めても、縛られる以前の状態には戻らないのです。こういう抑制のたどる悪循環を説明したのが、抑制死という考え方なのです。

抑制死の関係図

基本的な五つのケア

 さて、わたしたちは、現場で抑制廃止の方法、工夫を模索しました。そして、まず抑制が必要となるかもしれない状態、治療の機会を減らすことが重要であることに気付きました。そのために、五つの基本的なケアに焦点を定めて徹底して行うことから始めました。
 わかりやすい例でいうと、例えば、自分の周囲を大便で汚してしまう不潔行為と呼ばれる問題症状があります。認知症老人は、便をおむつの中にして、不快で気持ち悪くなると、おむつの中に手を入れてしまいます。そして、便が手についてしまう。すると、また何だか変なので、自分の周囲のもので手を拭いたりしてしまう。これが、不潔な問題症状、周囲への迷惑行為だと、抑制される原因になってしまう訳です。
 でも、この問題症状は、排泄のケアが適切に行われれば防げるものなのです。
具体的には、図2のような5つの基本的なケアが大切です。

5つの基本的ケア図

認知症は良くなるか ~認知症リハビリテーションの実践

この5つの基本ケアで、認知症老人はかなり良くなります。ただ、この認知症が良くなるとは、記銘力とか、理解力が昔のように良くなるということではありません。問題症状の減少ということが特徴になります。認知症老人たちは、自分たちが、害もなく、周囲から受け入れられることを知り、安心していく中で図3のよ うな変化がおきていくのだと思われます。

認知症がよくなるとは
問題症状の起こる頻度が減り、勢いが弱くなることで、穏やかになってお付き合 いがしやすくなり、ケアしやすくなって、今まで認知症のためにできなかったことがいくつかできるようになる。同時に人間らしさを取り戻す。

このような成果を得るためには、私たちは、5つの基本的ケアだけでは十分ではない、もっと専門的な認知症のための特別プログラムが必要であると考えはじめました。よりご利用者おひとりおひとりにきめ細かくかかわっていく、あるいは、もっているエネルギーや能力をより積極的に発揮していただく、それが現在行っている院内グループホームや合奏プログラムです。

上川病院グループホームの概要
開始:平成9年5月11日
参加人数:10名×2グループ
スタッフ数:3名×2グループ(看護師、ケアワーカーなど)
場所:病棟とは別棟。リビング、台所など家庭的なスペースが設定されている。
活動時間:午前9:30より午後4:30(週5日間)
主な活動:モーニングコーヒー、日付確認、新聞朗読、皆で盛り付けをしての食、午後の活動(散歩や手芸、おやつ作りなど)、3時のおやつ、ラジオ体操、掃除など。各活動には移動が伴う。

合奏プログラムの概要
開始:平成12年9月1日
参加人数:20名 スタッフと合奏システム研究所スタッフ7名
活動時間:毎週火曜日9:00~16:00
主な使用楽器:キーボード、トーンチャイム、グロッケン、拍子木、コントラバス、ピアノ、大太鼓演奏内容:このホームページでお聴き下さい。

グループホーム 個性的な認知症ケア

 認知症がかなり進行していても、昔から何十年間、何万回と行った行為や行動は結構出来るものです。例えば、家事、茶碗を洗う、床を拭く、ご飯をよそう、お茶を入れるなど。こういう行為は認知症の方でも少し手伝ったり、見守ったりすればできることが多いのです。グループホームケアとは、かつて自分の家で行われていたこれらの日常的な行動や行為を、ごく自然に行ってもらうプログラムです。患者さんのグループも10人程度の少人数、そして、病棟とは別のリビングとダイニングを合わせた空間が用意されています。

部屋の見取り図

認知症であっても、患者さんの出来ることが多くなり、失われていた自信を取り戻す、そのうち集団の中で自分の役割が出てきます。すると自分はいきていても良いのだという実感が湧き、余裕が出てくる。他人への気遣いができ、他人にも優しくできるようになる。そこには本当の思いやりと、他人と付き合うルールとしての礼儀の双方がありますが、いずれにせよ、しぐさや態度に優しさを表すことができれば、集団生活は一層しやすくなってきます。目の輝きが増してきて、皆、生き生きとし、食事の量も増えてくる。お洒落にもなってくる。これは人間らしさを取り戻してきたと言えると思います。
 このグループホームケアは、認知症老人の入院・入所時のきめ細かなケアのための試みでもあり、特に進行防止のための治療的な意義が強くあります。こういったリハビリスタッフやケアタッフが共同して行う認知症ケアこそ「認知症のリハビリテーション」の名にふさわしいものだと考えます。

ターミナルケアの視点

 認知症老人という自己決定をほとんどできない状態で入院されている方々の最後の時をよりホスピスケア、緩和ケアーに近づけるけるよう模索をしつづけてきました。病院や施設であるからには専門家集団がかかわるわけですから、在宅よりもより良い終末期でなくてはならない、そういうターミナルケアをめざしています。
一般的ににはターミナルは突然来るわけではありません。起きる、食べる、排泄、清潔、アクティビティという5つのケアーを徹底することで、より人間らしさのある時間を過ごすことができます。その後、食べられなくなる、身体合併症を生ずる、等の経過も含めターミナルに近づくわけです。その時、わたしたちはご家族の患者さんへの思いや知識や他の感情をよく理解し、専門的な情報もできるだけ解りやすく説明し、お互いに後悔の残らないよう、納得のいくターミナルになるよう、いつも確認しあいながら治療・ケアを提供していきます。
 以上がわたしたちの高齢者とくに認知症老人へのケアの基本的な考え方です。もちろんパーフェクトにできているわけではありません。社会制度などの限界もあり難しいと思える課題もあります。しかし、常に目標をもち努力していくこと、不可能に見えることにも挑戦していくこと、それがわたしたちの開院以来の伝統であり精神です。
そのひとつの成果が抑制廃止に結実しましたが、それははじまりです。私たちはよりきめ細やかなケアをめざして、ひとりひとりのご利用者のみなさまにご信頼いただけるよう、今後も全力を尽くしてまいります。